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| 希望とインスピレーションの物語(2006年1月) |
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| 作者 Administrator | |
| 2007/11/26 Monday 00:23:09 JST | |
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希望とインスピレーションの物語 ラルフ・C、ニューヨーク州モンティチェロ
わたしの希望のメッセージを皆さんにお届けしたいと思っています。それから、自分たちが独りではないというメッセージも。わたしはこのことを、妻が2005年のバレンタインデーという早期にPanCANに連絡を取ってくれたお蔭で知ることができました。連絡をとるとすぐに、スティーブ・Mさん ー 愛情を込めてわたしの『お父さん』と呼んでいますが ー が電話をかけてきてお互いの体験を話し合うことができるようになりました。サバイバー同士でしか理解できない体験というのがあるものです。9ヶ月間電話で話をした後、ついにわたしはこのすばらしい人物とロサンゼルスで行われたシンポジウムで直接会うことができました。
このシンポジウムに出席して、わたしと妻のマリアンはとても希望を持つことができました。「この病気について世の中にできるだけ広く知ってもらおう」というメッセージにも強い感銘を受けました。膵臓がんを研究している先生たちの丁寧な仕事ぶりにも深く感ずるところがありましたが、この分野にはまだまだ研究しなければいけないところがあるという印象も持って帰ってきました。
わたしの闘病歴は、2004年の夏に起こったうっとうしい背中の痛みに始まります。背中の筋肉を痛めたのだとばかり思っていましたが、そのうちその痛みが肋骨の下を通って広がりはじめたのです。非常に激しい消耗性の膵炎というのがその時の診断でした。入院して絶食による治療を行いましたが、その間の検査で胆石が見つかりました。わたしは胆のうの切除術を受けました。11月の感謝祭の週に、膵炎がまた始まりました。さらに絶食をしたところ合計13キロも体重が減ってしまいました。CTスキャンを撮ったところ、膵臓のしっぽのところに影があることが分かりました。医者の診立ては「半年待って、膵炎が治まるのを待ってからもう一回CTをとりましょう」というものでした。
妻はこのまま待っていてはいけないんじゃないかと強く思ったようです。わたしは妻への感謝と愛情表現として妻に従おうと思いました。妻はすっかり具合が悪くなったわたしの代理人として、保険の手続きなどすべてやってくれていたのです。妻はニューヨーク市の病院に専門家がいるのを見つけてくれました。
2004年12月の第一週、わたしはその病院の消化器内科医にかかりました。医者は超音波内視鏡検査をしてくれました。生検の結果ははっきりしなかったのですが、医者は「疑わしい」とのことで手術をすすめました。外科医も同意見でした。わたしは1月に膵尾部切除術と脾臓摘出術を受けました。リンパ節と切除断端の術中検査はどちらも陰性でした。外科医は妻に「急性膵炎の感じですね」と言いました。わたしたちはほっとして家に帰りました。
一週間後、手術標本の病理検査結果が返ってきました。結果は膵管癌(腺癌)、脾静脈浸潤というものでした。正にその日、脳梗塞がわたしの前頭葉の3カ所に起こりました。幸運にも後遺症は残りませんでした。
担当の腫瘍内科医は、正直に膵臓がんの研究データを教えてくれました。それによるとあちこちの病院で放射線や多剤化学療法など様々な考え方のもとに治療が行われているとのことでした。担当医は決して「ラルフさん、もう希望はありません」とは言いませんでした。その代わりに彼女は「治癒に向かってがんばっていきましょう」と言ってくれたのです。
わたしたちは攻撃的な治療を行うことに決め、GTX療法と放射線療法を始めることにしました。退職してサウスカロライナ州にいた義兄のジムがうちに来てわたしが化学療法を受けるのを手伝ってくれることになりました。ところが義兄は急逝し、彼を埋葬した翌日がゼローダ錠をのみ始める日でした。わたしは傍目にも明らかなほど動揺し、とても攻撃的な治療を始められる気分ではなくなってしまいました。そこでわたしたちは、医者の勧めに従って6ヶ月のジェムザール点滴と放射線療法を選択したのです。
わたしの信仰と希望が元に戻ったのは、義兄のジムと義姉のジャン(妻の姉で肺がんのため8年前に死去)はきっとあの世でわたしに闘ってほしい、ちゃんと生きてほしい、人生に新たな意味を見つけてほしい、やられっぱなしではなくやり返してほしいと思っているのではないかと気がついたからです。
わたしたちは今回のシンポジウムには必ず出席しなければいけないと思いました。皆がどのような方向に向かっているのか、どのようにすればもっと積極的に関わりを持てるのかをこの目で見てこなければいけないと思いました。それからこの病気にかかっても笑顔で毎日を大切に生きている人々に会わなければと思いました。この目的は全部達成できましたし、それ以上に良い事がありました。
わたしはPanCAN、妻、そしてわたしを担当してくれた医師たち皆のお蔭でがんを克服することができました。今、わたしの体にがんの痕跡はありません。わたしの心は希望と感謝の気持ちで一杯になっています。
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