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希望とインスピレーションの物語(2005年7月) プリント メール
作者 Administrator   
2007/11/26 Monday 00:25:17 JST

希望とインスピレーションの物語

2人のサバイバーと3人の子供がいる家

スティーブ・R、フロリダ州タラハシ

 

いつの日かきっと、僕は自分の守護天使に感謝の言葉を伝えに行くだろう。

 

この原稿を書いてくれと頼まれたとき、僕は即座にイエスと答えた。「自分の闘病記」を書くぐらい簡単だと思っていた。何度も人に話したことがある話だし、どうしてそれを書くのが大変になるだろう? 実際に書いてみてようやく自分が甘かったことに気づいた‥‥。ともあれ、僕は皆が毎日のあらゆる出来事や出会いにもっと感謝の気持ちを持てるといいなと思う。僕自身は今までの人生で特別な出来事や素晴らしい人々との出会いにはいつも感謝してきたつもりだったが、それでは足りなかった気がする。僕は二度と同じミスをしないつもりだ。

 

この闘病記を、まずは美しい妻ウェンディと素晴らしい子供たち、クリストファー(14)、プレストン(12)、リンゼー(9)の三人に感謝する事から始めたい。家族の愛情と理解と支えがなければ、この病気からの生還の旅はずっと困難なものになっていただろう。親戚や主治医や大勢の友人たちにも感謝したい。彼らの祈りや、励ましの言葉や、差し入れの食事や、貸してくれた肩がなかったならば、どうやってこの病を切り抜けられただろうか。この試練から学んだ事の一つは、我々が人生で選ぶ道は、必ずしも我々が進まなければならない道とは限らないということだった。子供たちに言ったのは、我々は道を選ぶ必要はないが、選ぶならば実際にその道を歩く時と同じ態度で選ばなければいけないということだ ー つまり、自分自身と同行者と自分の信念への自信を持って進まなければいけないのだ。

 

自分がどうやってこのがんに打ち勝ったのか書くことができればと思う。この通りにすればいいという指示が出せればと思う。もちろんそんなことは無理だ。ただ僕に言えることは、すい臓がんは死刑の宣告ではないということだ。僕が幸運だっただけだと言う人もいる。僕は自分には天使がついていたのだと信じている。

 

天使とは誰か? 僕には分からない。でも僕は天使がすぐそばにいてくれたこと、そして僕の命を助けてくれたことを信じている。2001年のある澄み渡った夏の日、僕たち一家はワシカ川をカヌーで下る旅に出かけた。何人かの父親たちと僕は、子供たちも一緒に大きな川の淵のところに陣取って泳いだり昼食をとったりすることにした。僕はいつも危ないことを最初にやるタイプで、川岸の木によじ登ってロープでできたブランコに乗ろうとした。ブランコは水面から9メートルぐらいの高さのところに下がっていた。ブランコを揺らしていた時、手が滑って僕は特大の「腹打ち飛び込み」をやってしまった。水面を激しく打ったのでほとんど気を失うところだった。

 

ものすごく痛かったことは痛かったが、僕は自分がブランコから落ちたことにあまり気を留めていなかった。カヌー旅行の一週間後、僕は毎食後にひどい胃痛がすることに気がついた。食欲がなくなって体重が減りはじめた。10日後に家族で海に遊びにいった時、あまりの痛みに僕は救急外来に駆け込むことになってしまった。そこでは急性膵炎と診断された。

 

結局、ブランコから落ちたときに膵臓が破裂したということが判明した。後になってわかったことは、膵臓の頭部に小さな腫瘍ができていて、ちょうどそれが膵管をふさぐ形になって膵臓で作っている酵素が破裂部に流れこんで膵炎を起こしていたということだった。6週間点滴をして消化酵素を内服したが、僕の状態は良くならなかった。それでやっと僕は有名病院に行った。何回も検査を受け、確かに膵臓の頭部の狭窄があることはわかったが、膵臓と胆管をふさいでいる小さな腫瘍はどうしても見つからなかった。ステントを入れてもらったら痛みは劇的に良くなったが、それを抜くが早いかまた具合が悪くなってしまった。これを見て主治医たちはウィップル手術を勧めてくれた。200110月、僕はウィップル手術を受け、2cmの腫瘍が見つかったのだった。

 

というわけで、僕が水面にたたき付けられたとき天使は確かにそこにいたのだ。どんな最新式の検査でも見つからない腫瘍が、あの腹打ち飛び込みがなければどうやって見つかっただろう? 僕がブランコから落ちなかったら、膵臓の破裂を縫い合わせる手術を受けなかったら、僕は自分の体の中で大きくなりつつあったあのがんから生還することはできなかっただろう。

 

僕の前にこの病気と闘った多くの人々、そして僕の後につづく多くの人々と同じように、僕はがん治療の儀式に耐えなければいけなかった ー 2週間の化学療法、続いて30回の放射線療法と持続点滴化学療法の組み合わせ、それからさらに4ヶ月の化学療法。この間僕は数えきれないほど入退院を繰り返した。でも僕は今でも生きている。生きてやることがいっぱいあるから‥‥家族や友人たちとのゴルフ、リトルリーグ野球のコーチ、社交ダンスの発表会への参加、子供たちの卒業と結婚‥‥いくらでも挙げられる。僕の話があなたの人生のプラスになればいいと思うのだが。

 

 

 

編集者注:スティーブの家族は、新しい困難に直面しても信念を保とうと努力しています。ウェンディは、200311月に乳がんと診断されました。ウェンディは両側の乳房を切除し、化学療法と放射線療法を受けました。ウェンディはこの治療の間中、信じられないほどきちんとしていました。病気といえどもウェンディの活動を邪魔することはできませんでした。彼女は今年の2月、PanCANマラソン・チーム(募金を集めてすい臓がんのことを皆に知ってもらう活動です)に参加し、ハーフマラソンを完走しました。しかも自己ベスト記録を更新したのです! スティーブとウェンディの検査結果は今も良好です。二人は今も守護天使に二人で過ごせる時間を長くしてくれたこと、かけがえのない子供たちと大切な人々を二人のもとに遣わしてくれたことを感謝しています。

 

 

 
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