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希望とインスピレーションの物語(2002年7月) プリント メール
作者 Administrator   
2007/11/29 Thursday 13:51:37 JST

希望とインスピレーションの物語

ジョナサン・マークス(55歳)ヴァージニア州チェサピーク

 

今年の5月始めから私は様々な症状に見舞われ、それは後にステージIVの膵臓がんとわかりました。2ヶ月後に肝臓の専門家が胆管の腫瘍が膵臓まで広がっているのを見つけましたが、その時は私は自分がどれほど深刻な状態にあるのか自覚していなかったのです。婚約者が私がトラブルに見舞われているのに気づくのまでそう長くはかかりませんでした。

 

私はこの病気の治療法と最高の医師を求めてインターネットを調べました。20日後には私たちはこの分野でトップの外科医の診察室で、自分がウィップル手術(あらゆる医療技術の中で間違いなく最も難しいものでしょう)を受けられるかどうか尋ねていました。外科医の感触では、私があと2年生きる確率は15パーセントぐらいとのことでした。それを聞いて背中に冷たい汗が流れ、ようやく私は自分の状況を理解したのです。外科医は、あなたの癌は肝臓に転移しておりそれが治療できないため手術の対象にはなりません、と言いました。私たちは家に帰りましたが、もちろんただ家に帰って死ぬつもりはありませんでした。私は他の手段を探しはじめました。ある臨床試験は私の肝臓の転移を治してくれる可能性がありました。しかし私はそれに参加する資格がなかったのです。なぜなら、膵臓の原発巣が治療されていなかったからです。別の臨床試験は膵臓の方を治してくれる可能性がありました、しかし私はこれにも参加できなかった、なぜなら私のがんは肝臓に転移していたからです。典型的な八方ふさがりの状況でした。友人がニューヨーク市にある腫瘍内科クリニックを見つけてくれました。そこの医者は私にまず化学療法を受けるように言い、私の住所の近くで私を助けてくれる有能で、進歩的で、とてもやる気のある腫瘍内科医を紹介してくれました。

 

その頃には8月も半ばになっていました。婚約者と私はヴァージニア州ノーフォークの腫瘍内科医のもとを受診しました。私はこの病気について調べるという宿題を済ませていたので、医師に質問することがたくさんありました。担当医はとても積極的で、そこが私にとって最も大事なところでした。私たちはまだ研究段階の化学療法を始めたのですが、これが驚いたことに効いたのです。3サイクル終わったところでCTを撮ると、がんの勢いが弱まっていることが分かりました。4つあった肝臓の転移は3つに減り、原発の膵臓の腫瘍は約20%縮小していたのです。

 

私はこのCTを外科医に送りました。外科医はついにウィップル手術をしてくれることになりました。外科医にお願いすると、医師はその日の夜8時半に私のところに電話をかけてくれました。「電話をするのが遅くなってごめんなさい」と何度も謝る彼の姿を見て、私はこの外科医が今までの医者とはまったく違うことに気づきました。私たちは約40分話をしました。そして私は自分が良い医者に巡り会えたことを知ったのです。彼は週に7日働き、病院から5ブロックしか離れていないところに住み、患者を救うことに身を捧げている第3世代の外科医でした。ついに私はただの統計上の数字ではなくなったのです! 私はジョナサン・マークス55歳、1965年に扁桃腺を取った以外今まで健康な人生を送ってきた一人の男です。私は私を治療したいと願う外科医を見つけました。彼が私を治療したいと思ったのは、統計の壁を破りたいと彼自身が思っていたからです。成功率など気にしていませんでした、なぜならもともと彼の成功率は素晴らしいものだったからです!

 

そして2002年1月15日、外科医は私の腹にメスを入れ、たった一つ残った肝臓の転移をラジオ波(熱)で治療してくれました。病理報告書では私の原発巣は陰性(生きたがん細胞が見あたらなかったということ)で、元々の6cmから1.3cmに縮小していたということでした。断端の話はありませんでした。私の体は、NED(がんの痕跡無し)になったのです。あと数サイクル化学療法をしたら、3ヶ月ごとにCTを撮る監視モードに入る予定です。

 

担当医たちは失敗を恐れることなく働き、私の命を救ってくれました。私はこれからずっと彼らに感謝し続けることでしょう。私の話のただ一つのポイントは、たとえ統計がどれほど厳しく見えようとも、希望は常にあるということです。私たちの中の誰かが、統計の壁を打ち破るのです。誰が生き残るのかは分かりません。だから私たちはいつも生きるためにチャレンジし続けなくてはいけないのです。若い頃、父から「人間、死ななきゃいけないのはたった一度だけだ」ということを学びました。ぞっとするような状況の中でも毎日死ななきゃいけないわけじゃない、何ヶ月に一度死ななきゃいけないというわけでさえないのです。もちろん、このがんが再発することもありうるでしょう。確率的にはそうです。確率なんてくそくらえ、もしこのがんが再発したらそれに対処するだけのことです。それまでの間は、私に意味のあるただ一つの統計値は、私が100%生きているか100%死んでいるかということだけです。今、私は生きています。そして私はこれからも生き続けようと心に決めています。それどころか、私が当分の間はこの世に留まる情勢になってきたので、結婚話がもう一度現実のものになりそうな勢いです! どうですかこの展開は!

 

 

 

希望とインスピレーションの物語

スペンサー・ワトキンス(31歳)イリノイ州セントチャールズ

 

みなさんこんにちは。私の話が皆さんの希望となるでしょうか。私は31歳で、去年の10月にすい臓がんと診断されました。ウィップル手術を予定して手術に入りましたが、腹腔鏡で私の腹の中を見た医師たちは手術をしないことに決めました。がんが私の肝臓の6割を占拠し、さらに十二指腸に顔を出しつつあったからです。肝臓の生検が行われましたが、5日後返ってきた結果は種類不明の腫瘍というものでした(腫瘍マーカーは上がっていませんでした)。この段階で、外科医には何かやっておきたいことがあるのだったらすぐにやるようにと言われました。あと3ヶ月から半年の命と告げられました。丸一日完全なショックに陥ってしまった後で、私はそんなに短期間でやりたいことを全部やるなんて無理だと思い、この病気に負けない決心をしたのです。

 

私はある腫瘍内科医のところに行きましたが、そこでも同じことを言われただけでした。セカンドオピニオンに行った病院で、ジェムザールとシスプラチンの治療が始まりました。ここからがびっくりするところです。次の6週間で、4.5cmあったすい臓の頭部の腫瘍がCT上見えなくなったのです。私はさらに6週間化学療法を続け、PET検査は問題なしで返ってきました。先週超音波内視鏡検査を受けたところですが、これまた問題なしでした。これから簡単な腹腔鏡検査を受けて外科医に肝臓を見てもらい、どんな様子か調べてもらう予定です。

 

私の例が典型的でないことはよく分かっています。でもこの病気と闘っている人皆に言えることは、決して希望を捨ててはいけないということです。私はすごく信心深い人間ではないのですが、この闘いで大事なことの一つは「自分が死刑判決を受けたと思わないこと」だと言えるでしょう。ですから、あなたもあなたのご家族もみんなで一緒に、できる限り前向きな態度を保っていきましょう。この病気には勝てます!

 

 

 

 

 

 

 

 
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