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| 希望とインスピレーションの物語(2003年1月) |
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| 作者 Administrator | |
| 2007/11/29 Thursday 13:53:17 JST | |
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希望とインスピレーションの物語 ロバート・ウィリアムズ(74歳)、ニューヨーク州スカニーテルズ
私の話は1997年10月に始まります。私たち夫婦はニューヨーク州北部のセントローレンス川のほとりにある夏の家からフロリダにある冬の家に移るところでした。私たちは妻の母親に会うためにオハイオ州カントンに立ち寄りました。そしてある朝、ひげそり中に私は自分が黄疸になっていることに気づいたのです。妻の注意をうながすと、妻は何日か前からそうなっていたわよと言いました。特に痛みや気分の悪さはありませんでした。私はフロリダのかかりつけ医に電話して今の状況を説明しました。
かかりつけ医の指示に従って、私たちは南への旅を続けました。フロリダで診察を受け、超音波検査をしました。特に異常がないのでERCP検査を受けるように言われました。この検査は胃腸科専門医のところで受けなければなりませんでした。この時点で私の肌は銅色になり、尿はまるで濃いコーヒーのような色になってしまいました。私はコネチカット州ハートフォードでERCP検査を受けることにしました。その地域の病院の方がなじみがあったからです。検査の結果、私は膵臓ガンにかかっていることが分かりました。腫瘍が胆管と乳頭部を塞いでいたのです。
私は今までに数えきれないほどウィップル手術をしてきたという外科医にかかりました。そして1997年11月3日に手術を受けました。私は11月10日に退院しました。11月18日にもう一度受診して管を全て抜いてもらい、11月21日にフロリダに飛行機で戻りました。
私は腫瘍内科医とかかりつけ医を交えた検討会をお願いしました。推奨された治療法を検討し、実施計画を立てました。その間に、フロリダ州タンパのモフィット病院にいる腫瘍内科医のところを定期的に受診する予約を入れました。それがとても大事なことだという気がしたのと、新しい治療のプロトコールが開発されていたらそれも勉強したいと思ったからです。私は、新しい治療法はまだできていないということ、それから5FUと放射線を使う治療法が未だに標準であるということを知りました。
というわけで、わたしは週に5回、5週間の放射線療法を終えました。放射線治療の最初と最後の週には、胸に抗がん剤ポートを埋め込みポンプをぶら下げて化学療法をしました。私は診断が付いてから、週に1回の化学療法を、丸52週受けました。抗がん剤と放射線につきものの気持ち悪さは経験済みです。今私が直面している新たな問題は糖尿病です。なぜなら治療によって私のすい臓はほぼ無いも同然になってしまったからです。まあこれぐらいはすい臓がんという診断に比べれば大したことはありません。これしきのことで私の回復過程が邪魔されることはありません。もちろん多少の調整は必要ですが。
昨年11月にウィップル手術から5年を迎えました。今は半年に一度腫瘍内科医にかかっていますが、そのうち1年に1度になることでしょう。腫瘍マーカーは以前からずっと正常値を保っています。すい臓が少ししかないのでインスリン依存性糖尿病ではありますが、これはまあ許容範囲でしょう。私の気分は最高、食欲もじゅうぶん、睡眠もたっぷりとれています。新しい家も建てたし、パワーボートやスポーツカーで助手席の妻が肝を冷やすぐらいのスピードを出しています。人生と家族を楽しんでいたらそのついでに、4月に75歳の誕生日を迎えてしまいました!
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