サバイバーストーリー

2013年4月12日 木下義高

kinoshitayoshitaka

 

 膵体尾部を切除してから6年になろうとしている。いま振り返ると、何度かの転機があった。のどが激しく渇き、足がこむら返りを起こす。血糖値を測ったら急激に上がっていた。ここで膵臓がんを疑うかどうかが、早期発見の明暗を分けることになった。掛り付け医の勧めもあって、超音波で膵臓を丹念に診てもらった。明らかに主膵管に異常がある。CTでも同様の所見だった。

 その日のうちに、電話でがん専門病院に診察予約を入れた。診察までの2日間はパソコンにかじりついて、インターネットで膵臓がんの情報を漁りまくった。 2日後のがん専門病院でのCT、血液検査の結果は、ステージIIIの浸潤性膵管癌である。「切れますか?」「ぎりぎりだが何とかなるでしょう」「じゃあ、お願いします」。

こうして、その場で2週間後の手術日を決めた。

(1)がんに関して基本的な知識を準備しているか?

(2)必要なときに正しい知識を得ることができるか?

(3)知識をもとにして、正しく判断し選択することができるか?

  これらが、がん患者の生死を分けることもある。私自身は、概ね満足できる選択をしたと考えている。

 膵臓がん全体の5年生存率は約5%だ。予後の厳しいこのがんでも、生存率曲線で恐竜の尾のように延びた右端には必ず「例外的患者」がいる。統計は平均を表わしているだけで、患者の個性は無視している。しかし、私たちは統計データではない。鼻の形が一人一人違うように、がん細胞の性格だって違うはずだ。誰にでも恐竜の尾=例外的患者になる可能性がある。 

 がんと戦うことは、喫緊の課題には違いない。しかし、がんとの闘いだけに費やした人生なんてつまらない。”がんが治ったら”いつかはやりたいと思っていることがあれば、”今”それをやれば良い。誰にでも治る可能性がある。だから希望を持つべきだ。しかし、往々にして希望は執着に変りやすい。

 人間には力の及ばないことがある。今やるべきことをやり、その結果を受入れる。ま、こんなものか、との思い切りが必要なときもある。 人間には「死」があるからこそ、困難に挑戦できる。永遠の命が与えられたとしたら、それは何でもできるということだ。しかし実際には、全てにおいてやるべきことに期限がないということでもある。あらゆることを先延ばしにできる。「今ここ」に、私たちに与えられた課題と義務を果たすことが、唯一人間として実行可能なことなのだ。

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