サバイバーストーリー:レスリーワインバーグ

Survivor Leslie Wineberg

サバイバーストーリー:レスリーワインバーグ(Stg3)

2017年6月20日

比較的新しい治療法である不可逆的なエレクトロポレーション(IRE:ナノナイフ)が私に与えてくれた時間

 

2015年8月4日、私はステージIII(局所進行)膵臓癌と診断され、非常に広範な血管浸潤がありました。

私は健康な58歳の女性でした。私は一生懸命運動し、健康的な食事を摂り、アルコール飲料を飲んだり、タバコを吸ったりしませんでした。私は病気をしたこともなく、薬も必要なく、私の家族の中にはがん体験者もいませんでした。しかし、ある日、私は腹痛を経験し始めました。私はすぐに食べることができなくなり、体重が減少しました。これは私にとっては普通ではなかったので、すぐに私の体のシグナルに耳を傾けることにしました。

 

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サバイバーストーリー:フィリップ・ゼブリンスキー(Stg4)

Survivor story PanCAN surgery twice

2016年5月26日

GA療法と新薬の臨床試験で新しい境地を開く

 

■わたくしが膵臓がんだと知らせてくれたのは黄疸だった

2014年5月、私はステージ4の膵臓がんと診断されました。 何かがおかしいという最初の兆候は、わずか5週間前、黄疸の症状を経験したときでした。黄疸は、膵頭部の小さな腫瘍が原因であることが判明しました。当初の診断ではステージ2の膵臓がんでしたので、膵頭十二指腸切除術が試みられました。 その手術の最中に肝転移が確認されたため手術は中止されました。肝転移のあるステージ4の膵臓がんと診断がかわりました。

 

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サバイバーストーリー:ミシェルスティール(ステージ4)

IMichele Steele photo

ミシェル・スチール 群馬県在住

 

日本の最先端医療によりステージ4Bで手術できた膵癌患者

~手術不可からのコンバージョン手術への挑戦~

 

*ミシェル・スチールさんは、パープルストライド神奈川・東京2017に参加します。

ミシェルさんとお話されたい方はパープルストライドにぜひご参加ください。

パープルストライド神奈川・東京2017

http://bit.ly/2fVJlw5

 

■痛みと共にやってきた膵臓(すいぞう)がん
2016年の2月の終わりに、日本にいた私は膵臓がんと診断されました。実際に何かおかしいという兆候は全くなかったので、それは本当にショックなことでした。
 当時私は51歳で、それまで一度も病気を経験したことがなく、健康に過ごしてきました。しかし、数ヶ月にわたって、重い背中の痛みを経験していました。私はそれが、ストレスからくるものであり、筋肉の凝りや神経が圧迫されて起こることであると考えていました。しかし、胸骨の下にも痛みを感じ始めたので、もしかしたらその痛みが背中の痛みと関連している可能性があるのではと考え始めました。
医者が膵臓がんの診断を下したときの私の最初の反応は、「OK(いいわ)、これを取り除くためには何をする必要があるの?」でした。私は当時、膵臓がんがどれほど深刻なのか、それがいかに難しい病気かを理解していなかったのです。

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サバイバーストーリー:松本真由美(ステージ4)

 



 



matumoto mayumi

長期サバイバーへの道―画期的な術前補助療法と外科切除ーによる膵臓がんからの生還

 

2013年10月31日、膵体尾部脾臓摘出手術をしました。私が膵臓がんの告知を受け、手術をしてから、早いもので3年7ヶ月が経ちました。いま考えると術前化学療法がよく効いたお蔭でがんが縮小し、それで手術がうまくいったのかなと感じています。

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サバイバーストーリー:林 正男(ステージ4a)

 



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hayashi photo  

重粒子線治療体験記『重粒子線治療ですい臓がんを狙い撃つ』

2012 年の 4 月に近くの大学病院で、膵臓がんの宣告を受けました。家族の事で今後やらなければいけない事があると思い、、標準治療を行った場合の余命を医師に尋ねると、半年か 1 年と言う返事でした。当然、絶望感を味わったわけですがその当時の私を支配していた感情は強い怒りでした。人に何の断りもなく絶望の淵に突き落とす膵臓癌に対して、自分の病状が今後どう変化するにしても まず、一撃を与えないことには気が済まないと言う 強い思いがありました。。。探していてたどり着いたのが重粒子線治療でした。

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サバイバーストーリー:的場 直子

サバイバーストーリー:的場直子 2014年9月8日  的場 直子 43歳(膵内分泌腫瘍患者歴8年、米国在住23年)    米国でのCAPTEM治療体験記(Revised 9.8.14) 私が初めてCAPTEMという治療薬の名前を耳にしたのは、もう6年以上も前になる2008年の春頃だったと思います。厳密に言うと、当時はCAPTEMという言葉は使われておらず「ゼローダとテモダールの併用治療」とだけ呼ばれていました。 私は2006年の秋に進行性膵内分泌腫瘍の告知を受け、数ヶ月の薬物治療の後、2007年の夏に大規模な腫瘍減量手術を受けていました。この手術により、膵臓の原発腫瘍は全て取り除かれましたが、すでに肝臓全体に広がっていた複数の転移は、一部を除きまだ残ったままでした。 手術後は体力や健康状態が回復するのに時間が掛かり、1年近くがん治療を再開できませんでした。その間残りの肝転移はどんどん大きくなり、そして新たに背骨に2カ所、骨転移らしい影も現れていました。もうそろそろ治療を開始しなければまた危ない、という2008年の春、スタンフォード大学病院の私の主治医から、初めてCAPTEMの話を聞きました。 その時は「正式に承認されている内分泌腫瘍(NET)の治療薬ではないが、オフラベルでNETの治療に使われている」「他の種類のがん(脳腫瘍、大腸がん、乳がんなど)ではすでに使われている抗ガン剤なので、副作用やリスクのデータは既にある」「NETに対しても、よい結果が報告されている」といった説明だったと思います。そしてその時主治医がぼそっと呟いた言葉がずっと頭に残っていました。「どこかのクリニックでは奏功率70%以上とか凄い結果が出てるらしいが、それはちょっとにわかには信じ難いですけどね。」私も「いくらなんでもそれは良過ぎるよな」なんて頭の中で思っていました。 結局、この時はもう一つのオプションとして主治医が挙げた、ヨーロッパでのPRRT治療を選びました。そして2008年の10月から、スイスのバーゼルでの治療が始まりました。この治療は功を奏し腫瘍が著しく縮小、バイオマーカーも改善されて、一時は衰弱していた体もすっかり元気になりました。その後約3年半、計5回の治療でこの状態を維持し、QOLの高い生活を送ることができました。 そして2度目にCAPTEMの話が出て来たのが2012年の春でした。最後のPRRT治療の効果があまり持続せず、腫瘍がやや増大し活発になり始め、機能型の腫瘍のホルモン過剰分泌がまた盛んになりはじめた頃です。主治医はPRRT治療を続ける事にベネフィットは余りないという結論に達し、治療プランを見直す事になりました。 4年前は臨床データも少なかったためか、あまり強くCAPTEMを勧めなかった主治医ですが、今回は違っていました。この頃にはアフィニトールやスーテントといった新薬がすでに正式なNET治療薬として承認されていたので、てっきりそのどちらかになるだろうと思っていたのですが、主治医は今だ未承認のCAPTEMの方を強く支持しているような口ぶりでした。 「アフィニトールやスーテントは、どちらかと言えば、腫瘍を小さくするというよりは、増悪を抑えるタイプの薬だと思います。貴方の腫瘍はまた大きくなって、ホルモン分泌も活発になってきているので、できれば小さくしたい。小さくする確率が一番高いのはアフィニトールやスーテントよりもCAPTEMです。」 主治医の言葉は私にはすんなり納得できました。というのも、この4年の間で、主治医以外からも、米国のNET患者会の掲示板や、また同病の患者さんとの会話を通してCAPTEMの評判を色々聞いていたからです。多くの患者さんが「CAPTEMは凄い」「腫瘍が見えなくなるくらいまで小さくなった」「CAPTEMのお陰で命が延びた」と言っているのをいくつも耳にしていました。 私は米国での患者セミナーやミーティングにはいつも積極的に参加するように心がけていますが、そこで出会う患者さんのデモグラフィーは幅広いです。性別を問わず、患者の年齢層も私のように30代で発病した人や、50〜60代の人たちまで様々です。人種もそうです。白人だけでなく、ヒスパニック系、中東系、東南アジア/東アジア系の人たちも沢山います。米国在住の日本人NET患者も、私以外に2名いました。 私と同じ病院に通っている、香港出身の中国人女性は、私と病状と治療歴がとてもよく似ています。彼女からは「2010年にもう後がない状態でCAPTEMを試し、腫瘍が著しく縮小、症状も改善して命拾いをした」という話を聞いていました。なので2度目に主治医からCAPTEMを提案された時は、全く迷いはありませんでした。ぜひ試してみたいです!ということで2012年5月に私のCAPTEM治療がスタートしました。 テモダールもゼローダも、体重から割り出した分量を経口投与するだけなので、家で簡単に行えて日常生活にも支障が出ず、QOLを維持する事に役立ちました。薬は2週間服用して2週間休みで1クール。テモダールは10日目から14日目の5日間のみの服用でした。 副作用は個人差があると思いますが、一般的には比較的穏やかだと言われています。私の場合も、テモダールを飲んだ最後の5日間はだるさが増し、ゼローダで腹痛が起きる事もありましたが、コントロールできないような激しい痛みや嘔吐などはなく、生活に大きな支障を来す事はありませんでした。また、服用直後にはいつもクレアチニンが一時的に上がりましたが、2週間の休薬後、次のクールが始まる頃にはまた元に戻っていました。 NETはヒストリー的に抗ガン剤があまり効かないことで有名なのですが、CAPTEMの効果の即効性に驚きました。1クールを終了した時点ですでに血液検査の数値にそれが顕著に現れ始めました。治療開始前は、腫瘍の増悪で肝機能の数値が上昇していたのですが、3週間後の血液検査ではすでに数値が下がり、さらにその2週間後には一番高かったALPが700から半分以下の300に下がっていました。 私はpNETの中でもPTHrPというホルモンを分泌するPTHrPomaという稀中の稀な機能型pNETですが、このホルモンが過剰分泌されると、血中カルシウム値が上がります。腫瘍が活発になると、このカルシウム値をコントロールするのが一番のチャレンジでした。CAPTEM開始前は、このカルシウム値が上昇し始め、毎日のように病院で2リットルの生理食塩水の点滴を受けていましたが、1クールでカルシウム値は正常レベルに戻り、点滴も必要なくなりました。 多くの患者さんたちが言っていた「魔法のような効果」を私も実感しました。抗ガン剤が効きにくいと悪評判だから尚更、いとも簡単に効果が現れたことに驚きました。そして3ヶ月後のCTでは肝臓の複数転移が全体的に縮小、7クールを終えた段階ではさらなる縮小があり、PRと判定されました。 またCAPTEMのもう一つの優れた点は持続性があることでした。主治医の話では、患者の中には治療をストップした後でも1〜2年無増悪期間が続くケースがあるそうです。私は短い方でしたが、それでも7クール終了したあと、8ヶ月間無治療で過ごす事ができました。 こういった背景があり、私はCAPTEMのオフラベル使用を強く支持しています。今年の初めに、ASCO-GI2014で、CAPTEM Phase IIの発表があった時も、前代未聞の好成績に十分頷けました。そして、多様なデモグラフィーの米国でこれだけ成果を出している薬なので、日本国内でも早急に検討され、今すぐにでも導入する価値のある治療だと強く感じました。 しかしその後、日本で自費でいいからCAPTEMを試したいと主治医に訴えた患者さんがいらしたのですが、まだ米国でもPhase IIの段階で、効果もまだあまり期待できないし、リスクも高いからとあっさり断られたという話を聞きました。非常に残念に思いました。 Phase…

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サバイバーストーリー:さくら

サバイバーストーリー 2014年5月30日 さくら   三年前の今日5月30日、私は神経内分泌腫瘍で膵頭十二指腸切除術を受けました。 結婚して一年、子供が産まれて一月経った位から、下痢や嘔吐・すさまじい胃痛に時々襲われました。夜間救急に駆け込んだり、近くの内科でもみてもらいましたが、とりあえず胃腸炎という感じでした。しかし、下痢はほとんど毎日、肩甲骨の横に鈍い肩凝りのような痛み・発作のように嘔吐と胃痛が三週間に一度のペースでありました。初めての育児でストレスなのかな!? などど考えて五ヶ月が過ぎ…さすがに胃薬を貰おうとすぐに胃カメラをやってもらえる病院に行きました。背中に違和感もあったし、『これで膵臓がんでもあったら私って三ヶ月もつかねー』なんて冗談を言いながら母親と子供を連れ行きました。   最初は先生も『一応エコーと単純CTと胃カメラ・採血をやりましょうねー』…という感じで軽くいきましたが、エコーがやけに長くかかりました。職業上、ん!?と思いましたが、次の指示を待ちました。そうしたら、『CTを造影でやってもいいか』と言われました。そのルートをとるための指示表にPK?と書かれていました。その瞬間血の気がサーっとなくなりました。一式検査が終わり、言われた事は、『膵臓に7㎝の腫瘍があります。すぐに大きな病院に紹介します。』と言われました。   その後は大学病院にいき、色々検査して一ヶ月後には手術になりました。リンパ節には転移していたものの、多臓器には無く、今も転移はありません。   しかし、告知をされたときはまさか自分があんなに大きな手術をするとは思いもよらず、ショックは大きかったです。   術後もとにかくしんどくて、自分の体ではないみたいだし、辛かったです。患者さんの気持ちが痛いほど解りました。   そして子供が6ヶ月での手術…母乳も止めたし、家族三人ばらばらの生活…これからの一歳の誕生日や、七五三、入学式や運動会…子供の成長が見届けられないのかなと…すごく不安にもなったし、心が苦しく、入院中泣くこともありました。『何で今なの!!30年後じゃだめなの!?もう少し待っててよ!!子供だってもう一人は欲しいし、何で今なの!?健康な身体に戻してよ』と毎日思いました。   術後は、合併症で入院退院を繰り返し、子供と旦那とは離れ離れが約一年繰り返しました。三年たった今も、合併症で悩まされていますが、仕事にも復帰し、家族三人で暮らしています。これから生きているかぎり再発の心配はあり、ハッキリいうと生きている心地がしない…というのが本音ですが、何より子供のためにまだ死ぬわけにはいかない…ただただそう思うのみです。大切な家族の為に私は負けません。  

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サバイバーストーリー:ハマリョウ

サバイバーストーリー 2013年11月3日 ハマリョウ (愛猫ピカちゃん)  皆さんおはようございます。 私は、今年の9月末に世界遺産の屋久島へ行き縄文杉に会って参りました。朝5時にホテルを出発して、片道11km、12時間の登山を無事に歩ききることができました。 振り返れば、丁度4年前の11月、健康診断で膵臓に異常が見つかり、「悪性では無いが手術が必要」と言うことで、2010年2月4日に7時間半におよぶ手術を受けました。実は手術前日、膵尾部の腫瘍は80~90%の確率で悪性と告げられ、半信半疑で手術を受けた覚えがあります。 そして1ヶ月後、病理検査で膵臓がんとの確定診断があり、術後補助療法としてその後2年間1週おきにジェムザールの抗がん剤治療を行いましたが、2年で再発が告げられ、さすがにこの時はショックを受けました。 しかし、3ヶ月後のMRI画像では、再発箇所は1カ所のみと言うことで、2012年5月18日に手術を受け、切除することができました。 その後1年半、TS-1を副作用とのバランスをとりながら、概ね1日おきに服用し、現在までのところ再々発は無くこのように元気に暮らすことが出来ています。 この3年半、妻が、がんに良いと言われる食事療法、例えばにんじんとレモンと蜂蜜のフレッシュジュースを毎朝作ってくれるなど献身的にサポートしてくれました。また、パンキャンジャッパン様の有益な情報が本当に本当に力になりました。この場をお借りしてお礼を述べさせていただきます。ありがとうございます、そしてこれからもよろしくお願いします。 最後に、此処におられます膵臓がん患者の皆様およびご家族が、今後明るく充実した生活を送られること、並びに膵臓がんの治療方法が進歩することを切に祈念して、私のご挨拶といたします。 ありがとうございました。 <パープルストライド東京2013(すい臓がん啓発チャリティーウォーク)にて>

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サバイバーストーリー:落合誠一(ステージ4)

サバイバーストーリー 落合誠一 2013年3月25日 私は2002年春、単身赴任先にて膵臓がんを告知されました。 当時はバリバリと仕事をしておりましたので、自分が「がん」になったとは信じられない思いで、頭の中が真っ白となり激しいショックを受けました。その時の主治医は、治療方針について言葉を濁すばかりでした。最初の医師の態度に不安を感じながらも、職場に休職届けを提出し自宅近くの病院へ転院しましたが、その病院でも主治医は余命を宣告して治療を引き受けてくれませんでした。 焦った私は妻の協力のもと治療を引き受けて頂ける医師を探しましたが、3人目の医師にも引き受けてもらえませんでした。 こうして約1ヵ月がん難民状態で何もしない期間が経過しましたが、4人目の医師が「治療法があるのに何もせずに諦める事はない」と言って引き受けて下さり、その時より治療を開始致しました。 その後別のがんも見つかり、度々襲ってくる極めて厳しい状況をその都度乗越えながら現在は多重がん患者として病と向き合い戦っています。 私は、がんは自分には全く無関係だと思い込み知識も無く、辛い経験をしました。 「自分の大切な命を守る為に最低限の知識も無い。自分の身体に対しこんな事で良いのだろうか?」と深く反省し、ありとあらゆる手段を使い必死の思いで猛勉強しました。その甲斐あって主治医との会話もスムーズとなりましたが、一方がん医療に関する様々な問題点も見えてきました。「これからの患者さんに自分と同じ辛い思いをさせてはいけない。様々な問題点を解決する為に、患者でも出来ることは有るはずだ・・・!!問題点に気づいた人が動かなければ何も変わらない・・・!!当事者である患者自らが立ち上がるべきだ!!!」と考え、治療と並行しながら妻と二人でアドボカシー活動に邁進しております。 「残された時間はがん患者さんの為に」との思いで活動していますが、まだまだしなければいけない事が沢山残されています。 膵臓がんの患者仲間の皆さん、頑張ってさえいればやがて良い方法が見付かると信じて、一緒に前を向いて行きましょう!! (写真はご本人と、奥様のり子さん)

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サバイバーストーリー:木下義高

サバイバーストーリー 2013年4月12日 木下義高    膵体尾部を切除してから6年になろうとしている。いま振り返ると、何度かの転機があった。のどが激しく渇き、足がこむら返りを起こす。血糖値を測ったら急激に上がっていた。ここで膵臓がんを疑うかどうかが、早期発見の明暗を分けることになった。掛り付け医の勧めもあって、超音波で膵臓を丹念に診てもらった。明らかに主膵管に異常がある。CTでも同様の所見だった。  その日のうちに、電話でがん専門病院に診察予約を入れた。診察までの2日間はパソコンにかじりついて、インターネットで膵臓がんの情報を漁りまくった。 2日後のがん専門病院でのCT、血液検査の結果は、ステージIIIの浸潤性膵管癌である。「切れますか?」「ぎりぎりだが何とかなるでしょう」「じゃあ、お願いします」。 こうして、その場で2週間後の手術日を決めた。 (1)がんに関して基本的な知識を準備しているか? (2)必要なときに正しい知識を得ることができるか? (3)知識をもとにして、正しく判断し選択することができるか?   これらが、がん患者の生死を分けることもある。私自身は、概ね満足できる選択をしたと考えている。  膵臓がん全体の5年生存率は約5%だ。予後の厳しいこのがんでも、生存率曲線で恐竜の尾のように延びた右端には必ず「例外的患者」がいる。統計は平均を表わしているだけで、患者の個性は無視している。しかし、私たちは統計データではない。鼻の形が一人一人違うように、がん細胞の性格だって違うはずだ。誰にでも恐竜の尾=例外的患者になる可能性がある。   がんと戦うことは、喫緊の課題には違いない。しかし、がんとの闘いだけに費やした人生なんてつまらない。”がんが治ったら”いつかはやりたいと思っていることがあれば、”今”それをやれば良い。誰にでも治る可能性がある。だから希望を持つべきだ。しかし、往々にして希望は執着に変りやすい。  人間には力の及ばないことがある。今やるべきことをやり、その結果を受入れる。ま、こんなものか、との思い切りが必要なときもある。 人間には「死」があるからこそ、困難に挑戦できる。永遠の命が与えられたとしたら、それは何でもできるということだ。しかし実際には、全てにおいてやるべきことに期限がないということでもある。あらゆることを先延ばしにできる。「今ここ」に、私たちに与えられた課題と義務を果たすことが、唯一人間として実行可能なことなのだ。

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