サバイバーストーリー:ハマリョウ

サバイバーストーリー 2013年11月3日 ハマリョウ (愛猫ピカちゃん)  皆さんおはようございます。 私は、今年の9月末に世界遺産の屋久島へ行き縄文杉に会って参りました。朝5時にホテルを出発して、片道11km、12時間の登山を無事に歩ききることができました。 振り返れば、丁度4年前の11月、健康診断で膵臓に異常が見つかり、「悪性では無いが手術が必要」と言うことで、2010年2月4日に7時間半におよぶ手術を受けました。実は手術前日、膵尾部の腫瘍は80~90%の確率で悪性と告げられ、半信半疑で手術を受けた覚えがあります。 そして1ヶ月後、病理検査で膵臓がんとの確定診断があり、術後補助療法としてその後2年間1週おきにジェムザールの抗がん剤治療を行いましたが、2年で再発が告げられ、さすがにこの時はショックを受けました。 しかし、3ヶ月後のMRI画像では、再発箇所は1カ所のみと言うことで、2012年5月18日に手術を受け、切除することができました。 その後1年半、TS-1を副作用とのバランスをとりながら、概ね1日おきに服用し、現在までのところ再々発は無くこのように元気に暮らすことが出来ています。 この3年半、妻が、がんに良いと言われる食事療法、例えばにんじんとレモンと蜂蜜のフレッシュジュースを毎朝作ってくれるなど献身的にサポートしてくれました。また、パンキャンジャッパン様の有益な情報が本当に本当に力になりました。この場をお借りしてお礼を述べさせていただきます。ありがとうございます、そしてこれからもよろしくお願いします。 最後に、此処におられます膵臓がん患者の皆様およびご家族が、今後明るく充実した生活を送られること、並びに膵臓がんの治療方法が進歩することを切に祈念して、私のご挨拶といたします。 ありがとうございました。 <パープルストライド東京2013(すい臓がん啓発チャリティーウォーク)にて>

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サバイバーストーリー:的場 直子

サバイバーストーリー:的場直子 2014年9月8日  的場 直子 43歳(膵内分泌腫瘍患者歴8年、米国在住23年)    米国でのCAPTEM治療体験記(Revised 9.8.14) 私が初めてCAPTEMという治療薬の名前を耳にしたのは、もう6年以上も前になる2008年の春頃だったと思います。厳密に言うと、当時はCAPTEMという言葉は使われておらず「ゼローダとテモダールの併用治療」とだけ呼ばれていました。 私は2006年の秋に進行性膵内分泌腫瘍の告知を受け、数ヶ月の薬物治療の後、2007年の夏に大規模な腫瘍減量手術を受けていました。この手術により、膵臓の原発腫瘍は全て取り除かれましたが、すでに肝臓全体に広がっていた複数の転移は、一部を除きまだ残ったままでした。 手術後は体力や健康状態が回復するのに時間が掛かり、1年近くがん治療を再開できませんでした。その間残りの肝転移はどんどん大きくなり、そして新たに背骨に2カ所、骨転移らしい影も現れていました。もうそろそろ治療を開始しなければまた危ない、という2008年の春、スタンフォード大学病院の私の主治医から、初めてCAPTEMの話を聞きました。 その時は「正式に承認されている内分泌腫瘍(NET)の治療薬ではないが、オフラベルでNETの治療に使われている」「他の種類のがん(脳腫瘍、大腸がん、乳がんなど)ではすでに使われている抗ガン剤なので、副作用やリスクのデータは既にある」「NETに対しても、よい結果が報告されている」といった説明だったと思います。そしてその時主治医がぼそっと呟いた言葉がずっと頭に残っていました。「どこかのクリニックでは奏功率70%以上とか凄い結果が出てるらしいが、それはちょっとにわかには信じ難いですけどね。」私も「いくらなんでもそれは良過ぎるよな」なんて頭の中で思っていました。 結局、この時はもう一つのオプションとして主治医が挙げた、ヨーロッパでのPRRT治療を選びました。そして2008年の10月から、スイスのバーゼルでの治療が始まりました。この治療は功を奏し腫瘍が著しく縮小、バイオマーカーも改善されて、一時は衰弱していた体もすっかり元気になりました。その後約3年半、計5回の治療でこの状態を維持し、QOLの高い生活を送ることができました。 そして2度目にCAPTEMの話が出て来たのが2012年の春でした。最後のPRRT治療の効果があまり持続せず、腫瘍がやや増大し活発になり始め、機能型の腫瘍のホルモン過剰分泌がまた盛んになりはじめた頃です。主治医はPRRT治療を続ける事にベネフィットは余りないという結論に達し、治療プランを見直す事になりました。 4年前は臨床データも少なかったためか、あまり強くCAPTEMを勧めなかった主治医ですが、今回は違っていました。この頃にはアフィニトールやスーテントといった新薬がすでに正式なNET治療薬として承認されていたので、てっきりそのどちらかになるだろうと思っていたのですが、主治医は今だ未承認のCAPTEMの方を強く支持しているような口ぶりでした。 「アフィニトールやスーテントは、どちらかと言えば、腫瘍を小さくするというよりは、増悪を抑えるタイプの薬だと思います。貴方の腫瘍はまた大きくなって、ホルモン分泌も活発になってきているので、できれば小さくしたい。小さくする確率が一番高いのはアフィニトールやスーテントよりもCAPTEMです。」 主治医の言葉は私にはすんなり納得できました。というのも、この4年の間で、主治医以外からも、米国のNET患者会の掲示板や、また同病の患者さんとの会話を通してCAPTEMの評判を色々聞いていたからです。多くの患者さんが「CAPTEMは凄い」「腫瘍が見えなくなるくらいまで小さくなった」「CAPTEMのお陰で命が延びた」と言っているのをいくつも耳にしていました。 私は米国での患者セミナーやミーティングにはいつも積極的に参加するように心がけていますが、そこで出会う患者さんのデモグラフィーは幅広いです。性別を問わず、患者の年齢層も私のように30代で発病した人や、50〜60代の人たちまで様々です。人種もそうです。白人だけでなく、ヒスパニック系、中東系、東南アジア/東アジア系の人たちも沢山います。米国在住の日本人NET患者も、私以外に2名いました。 私と同じ病院に通っている、香港出身の中国人女性は、私と病状と治療歴がとてもよく似ています。彼女からは「2010年にもう後がない状態でCAPTEMを試し、腫瘍が著しく縮小、症状も改善して命拾いをした」という話を聞いていました。なので2度目に主治医からCAPTEMを提案された時は、全く迷いはありませんでした。ぜひ試してみたいです!ということで2012年5月に私のCAPTEM治療がスタートしました。 テモダールもゼローダも、体重から割り出した分量を経口投与するだけなので、家で簡単に行えて日常生活にも支障が出ず、QOLを維持する事に役立ちました。薬は2週間服用して2週間休みで1クール。テモダールは10日目から14日目の5日間のみの服用でした。 副作用は個人差があると思いますが、一般的には比較的穏やかだと言われています。私の場合も、テモダールを飲んだ最後の5日間はだるさが増し、ゼローダで腹痛が起きる事もありましたが、コントロールできないような激しい痛みや嘔吐などはなく、生活に大きな支障を来す事はありませんでした。また、服用直後にはいつもクレアチニンが一時的に上がりましたが、2週間の休薬後、次のクールが始まる頃にはまた元に戻っていました。 NETはヒストリー的に抗ガン剤があまり効かないことで有名なのですが、CAPTEMの効果の即効性に驚きました。1クールを終了した時点ですでに血液検査の数値にそれが顕著に現れ始めました。治療開始前は、腫瘍の増悪で肝機能の数値が上昇していたのですが、3週間後の血液検査ではすでに数値が下がり、さらにその2週間後には一番高かったALPが700から半分以下の300に下がっていました。 私はpNETの中でもPTHrPというホルモンを分泌するPTHrPomaという稀中の稀な機能型pNETですが、このホルモンが過剰分泌されると、血中カルシウム値が上がります。腫瘍が活発になると、このカルシウム値をコントロールするのが一番のチャレンジでした。CAPTEM開始前は、このカルシウム値が上昇し始め、毎日のように病院で2リットルの生理食塩水の点滴を受けていましたが、1クールでカルシウム値は正常レベルに戻り、点滴も必要なくなりました。 多くの患者さんたちが言っていた「魔法のような効果」を私も実感しました。抗ガン剤が効きにくいと悪評判だから尚更、いとも簡単に効果が現れたことに驚きました。そして3ヶ月後のCTでは肝臓の複数転移が全体的に縮小、7クールを終えた段階ではさらなる縮小があり、PRと判定されました。 またCAPTEMのもう一つの優れた点は持続性があることでした。主治医の話では、患者の中には治療をストップした後でも1〜2年無増悪期間が続くケースがあるそうです。私は短い方でしたが、それでも7クール終了したあと、8ヶ月間無治療で過ごす事ができました。 こういった背景があり、私はCAPTEMのオフラベル使用を強く支持しています。今年の初めに、ASCO-GI2014で、CAPTEM Phase IIの発表があった時も、前代未聞の好成績に十分頷けました。そして、多様なデモグラフィーの米国でこれだけ成果を出している薬なので、日本国内でも早急に検討され、今すぐにでも導入する価値のある治療だと強く感じました。 しかしその後、日本で自費でいいからCAPTEMを試したいと主治医に訴えた患者さんがいらしたのですが、まだ米国でもPhase IIの段階で、効果もまだあまり期待できないし、リスクも高いからとあっさり断られたという話を聞きました。非常に残念に思いました。 Phase…

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サバイバーストーリー:さくら

サバイバーストーリー 2014年5月30日 さくら   三年前の今日5月30日、私は神経内分泌腫瘍で膵頭十二指腸切除術を受けました。 結婚して一年、子供が産まれて一月経った位から、下痢や嘔吐・すさまじい胃痛に時々襲われました。夜間救急に駆け込んだり、近くの内科でもみてもらいましたが、とりあえず胃腸炎という感じでした。しかし、下痢はほとんど毎日、肩甲骨の横に鈍い肩凝りのような痛み・発作のように嘔吐と胃痛が三週間に一度のペースでありました。初めての育児でストレスなのかな!? などど考えて五ヶ月が過ぎ…さすがに胃薬を貰おうとすぐに胃カメラをやってもらえる病院に行きました。背中に違和感もあったし、『これで膵臓がんでもあったら私って三ヶ月もつかねー』なんて冗談を言いながら母親と子供を連れ行きました。   最初は先生も『一応エコーと単純CTと胃カメラ・採血をやりましょうねー』…という感じで軽くいきましたが、エコーがやけに長くかかりました。職業上、ん!?と思いましたが、次の指示を待ちました。そうしたら、『CTを造影でやってもいいか』と言われました。そのルートをとるための指示表にPK?と書かれていました。その瞬間血の気がサーっとなくなりました。一式検査が終わり、言われた事は、『膵臓に7㎝の腫瘍があります。すぐに大きな病院に紹介します。』と言われました。   その後は大学病院にいき、色々検査して一ヶ月後には手術になりました。リンパ節には転移していたものの、多臓器には無く、今も転移はありません。   しかし、告知をされたときはまさか自分があんなに大きな手術をするとは思いもよらず、ショックは大きかったです。   術後もとにかくしんどくて、自分の体ではないみたいだし、辛かったです。患者さんの気持ちが痛いほど解りました。   そして子供が6ヶ月での手術…母乳も止めたし、家族三人ばらばらの生活…これからの一歳の誕生日や、七五三、入学式や運動会…子供の成長が見届けられないのかなと…すごく不安にもなったし、心が苦しく、入院中泣くこともありました。『何で今なの!!30年後じゃだめなの!?もう少し待っててよ!!子供だってもう一人は欲しいし、何で今なの!?健康な身体に戻してよ』と毎日思いました。   術後は、合併症で入院退院を繰り返し、子供と旦那とは離れ離れが約一年繰り返しました。三年たった今も、合併症で悩まされていますが、仕事にも復帰し、家族三人で暮らしています。これから生きているかぎり再発の心配はあり、ハッキリいうと生きている心地がしない…というのが本音ですが、何より子供のためにまだ死ぬわけにはいかない…ただただそう思うのみです。大切な家族の為に私は負けません。  

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ボランティアストーリー:石森恵美

  石森さんご一家(ご主人、恵美様、雄大さん、圭さん)ボランティアストーリー:2013年10月16日石森恵美 身長180cm、体重73㎏。健康でめったに風邪をひくこともなかった夫が57歳、初めて入院したのは、2010年5月。その3日後にすい臓がんの告知を受けた。夫にとって初めてのともいえる病気はすい臓がん、それもステージ4b。あまりの驚きに涙も出ず、医師に「助けてください」と繰り返した私。「月単位で考えてください」と若い医師が言っているのは確かに聞こえていたのに、なんと間抜けなことを言っていたのだろう。 そしてその1週間後、夫の姉(私にとっては義姉)にも、同じ病院の別の医師からすい臓がんの告知がなされた。義姉は独身、透析患者で内臓疾患の障碍者1級。家族は年老いた母親。父親はすでに他界している。義姉をたった一人ですい臓がんと闘わせることはできないと思った。夫と義姉は私が看よう。 夫と私には当時、中学3年と中学1年の二人の息子がいた。中3の長男は当然、高校受験を控えている年だった。夫は、息子たちにも、また友人にも職場にも、親戚にも自分の病気を伝えることを拒んだ。のち、たくさんの人たちに「生前、病気のことを知らせてほしかった」と言われたが、私は「誰にも伝えたくない」夫の気持ちがよくわかり、その気持ちを大切にしてやりたかった。 当時、抗がん剤は2剤しか認可されておらず(夫の死から1年後3剤になったことは朗報である)、そのうちの1剤、ジェムザールの投与が始まったが、がんの進行は早く、夫はどんどん悪くなる一方だった。「食欲がない」以前の「食べ物を受け付けない」状態。食べていないのに「嘔吐」「下痢」を繰り返し、発熱が続く。高カロリー点滴を鎖骨の部分から入れるも、腹水が溜まる。20㎏以上も痩せ、何をすることもできず告知から5か月後に、夫は逝ってしまった。二人の息子には、がんという言葉は使わなかったものの、亡くなる10日前に夫自身が話をした。「お父さんにとって自慢の息子だ」と。そして意識が混濁する前に私が、がんであることと、命が限られてしまったことを話した。 当たり前だが、義姉のすい臓がんも確実に進行していた。夫が亡くなって半年後、夫と同じように苦しみ義姉も逝ってしまった。残されたのは、認知症が少しずつ進み始めた義母。昭和元年生まれの彼女はとてもドライな姑で、私は子育てにおいても、仕事をすることにおいても、また嫁という立場においても助けられた。その義母の様子がいつもと違うことに気づき精密検査を受けたところ、義母もまた膵臓癌であるという。治療も手術もしないことを選択したためにすぐに退院。「サービス付き高齢者向け住宅」への入居を決め引っ越す際、その施設と連携している開業医が「遺伝性膵臓がん」のことを教えてくれた。驚き、怖くなり、でも納得もした。 家族の誰かが、癌になり、そしてその日を迎える。悲しみ、寂しさ、驚き、後悔、切なさ・・・たくさんの感情が交錯することは間違いない。医師や看護師に対する言いようのない気持ちも然り。言い始めればきりがない。 でも、これからの膵臓癌と闘う私たちに必要なことは「家族性膵癌登録制度」が確実に誠意あるかたちで構築されることではないかと思っている。「登録制度」「遺伝性膵臓癌」に関しては、もっともっと医師や看護師に理解を深め研鑽を積んでいただきたい。 そして、「早期発見」が「絶望」に変わることだけは何としてでも避けなければならない。何故なら、その患者は、すい臓がんと壮絶な闘い方をした大切な自分の家族を、この目で見ているのだから。 「早期発見」を「希望」や「勇気」に変えるためには、さらなる医療関係者の努力、そして机上だけではない丁寧な心あるカウンセリングの準備が必要だと考える。 また、ドラッグラグ解消に向けては、私なりの署名活動は続けていきたい。これは時間が重要になる。何故なら、本当に驚くほどにすい臓がんの進行は早いから。癌患者とその家族にとって、時間はとても大切なものだ。 すい臓がんは治る。治療可能ながんになる。いや、する。

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リサーチャーストーリー:内田大輔

  2013年10月3日 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 消化器肝臓内科学 内田大輔 膵臓癌は、「癌の王様」と呼ばれるほど、悪性度が高く予後の悪い癌です。様々な膵癌治療が開発され、徐々に光明が見え始めてはいますが、特に進行膵癌においては、いまだ長期予後獲得と言える結果は得られていません。私は、研究を始める以前には、一般臨床病院で消化器内科医として、数多くの膵癌患者の診療に携わってきました。しかし膵癌の難治性に対して幾度となく無力感を覚え、自ら膵臓癌の新規治療開発に関わりたいと考えました。そこで、2012年より岡山大学で膵癌を含む消化器癌の新規治療開発の基盤研究を行っています。 我々が研究を進めているREIC/Dkk-3遺伝子は、当大学において発見された新規癌治療遺伝子であり、アデノウィルスベクターを用いて遺伝子導入することで、癌細胞特異的な細胞死誘導効果、腫瘍免疫誘導による抗腫瘍効果を示すことがわかりました。ほぼ全ての固形癌で効果が期待されており、泌尿器癌においては、すでに臨床試験も始まっています。膵臓癌においても、治療効果が期待できる研究結果が得られてきています。膵癌細胞を用いた実験では、REIC遺伝子導入により、他の癌腫同様に著明な細胞死誘導効果を認め、ヌードマウスを用いた動物実験モデルにおいても有意な腫瘍縮小効果が得られました。腫瘍免疫を誘導することでさらにこの効果を増強することができると考えており、現在実験を進めております。 この度は、私達の研究に対して、Young Investigator Awardという形で評価頂いたことを厚く感謝申し上げます。このような賞を頂けることは、若手研究者にとって良いモチベーションとなります。臨床応用への道程は長いですが、我々の研究成果により膵癌が克服できるよう、日々邁進していきたいと思います。

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ボランティアストーリー:齋藤博之

  (写真は齋藤博之さん、道子さん、向日葵さん、明莉さん)ボランティアストーリー:2013年9月15日齋藤博之 突然のことだった。 まさか末期進行がんと宣告されるなんて。 夢だろう・・・。 いつもと変わらないありふれた日常。 お産後、いつものように妻は胃のあたりが調子わるいなぁ、背中も少し痛むんだよね〜、なんて食卓の場で言ってくる。 虫の知らせというが、妻の父親59歳が『胃がん』を患い半年前に胃を大きく切除し その後、腸閉塞を併発し長期入院中に亡くなってしまった。お義父さんの葬儀を滞りなく終えた12月10日、はじめて妻から真剣に、検査受けてみようと思うと相談があった。 処方されていた胃薬が効果なく、ほかの原因があるかもしれない、と地域で評判の消化器内科医を受診し、CT検査もうけられることになって心配そうな妻のそばにと付添い、あとは結果を待つだけだった。 それは1週間後という約束であったが、突然主治医に夫婦で来てくださいと連絡を頂き、連休明けの12月26日、私たち夫婦の5回目の結婚記念日の翌々日にやってきた。 大丈夫、大丈夫と言い聞かせながらも、隣に座る妻の体が気なしか小さくなっていくような感じがしていた。 『すい臓に4cmくらいの腫瘍がみられます。ここでは治療できないので、県立病院で検査入院をしてより詳しく調べ、処置を仰ぎましょう!』、『なにか質問ありますか?』と言われたが、私たち二人とも絶句してしまい、すい臓ってどこ?腫瘍ってなに?癌!? なぜ今すぐではなく年明けの2週間後にしか検査うけられないんだろう・・・、そう思い返せたのはその日の夜、二人の娘たちを寝かせてから寝室で二人抱き合いながら、スマホで調べた『すい臓 腫瘍』の二文字でみつかった数々の恐ろしい病名、難治であることにただただ無性に涙がとまらなかった。 2013年1月7日(月)、妻に教えてもらいながら娘たちの登園の準備、送り届けなどしたのち、指定の検査入院の時間に合わせ食事を済ませ、祈りを捧げ、自宅をあとに妻と二人で病院へ向かった。この段階では検査が何日続くのか、入院がいつまでなのか全く把握できておらず、これから立ち向かうであろう闘病生活がどのようなものなのかも全く想像がつきませんでした。なぜなら妻はいつもと何ら変わりなく笑顔で体型も変わらず、私達家族を心配させまいと、常に連絡はとれるし、どんな結果が待ち受けていても、絶対すぐに自宅に戻ってくるから!と強い意志をもって挑んでくれていましたので、私も不安をあげればキリがないのですが妻を出来るだけ安心させられるよう育児や家事の事は出来るだけ真面目に取り組むように備えてきていました。 血液検査、エコー検査、CT検査や超音波内視鏡カメラなど県内に数台しかない設備と言われてもだから安心に繋がるわけでもなく、とにかく今後完治させるべく現状はもちろん、原因まで追究してくれて、根本から生活を見直していくものと夫婦で互いに覚悟をもって挑んでいきましたが、ついに主治医よりまず本人を除いてと配慮を頂き面談をした際に、余命についての言葉が聞かれ、悪い流れになっている予感通りでしたので、その場は妻との面談を強く希望し、検査入院より3日後の夜、待合室で待つ子供たちと親族に心配させまいと夫婦二人で受けた面談の結果は、 『すい体部がん、肝臓複数転移がある末期進行がん、ステージIVb』 という3大標準治療では手の施しようがない、完治は望めないといった状態であることが告げられてしまいました。 余りのショックにさすがの妻も今晩は一人で考えたいと言われましたが、目を見て話し合い即一次帰宅の手配をお願いし明日また再入院することを約束して自宅へと戻ることができました。 先月、『すい臓に腫瘍がある』とわかったときより、状況は深刻で、また明日何を受けに入院させられるのか、完治が望めないような事をわかってしまった私達はただただ祈り続ける事しかできず、二人の娘の寝顔をずっと見つめながらただただ涙を流すことしかできませんでした。 ただただ祈り続ける中で、見出せたことは、セカンドオピニオンをうけるにせよ、今後治療をうけるにせよ、今の主治医を全面的に信頼し、延命治療をうけながら少しでも沢山の、より正確な情報、治療法と出あうべく前向きにこの窮地を捉える事でした。副作用がどれほどのものなのか、病状がどのように表れてくるのかさえ全くわからないまま、処方される経口薬の多さ、種類、その効能にただただ圧倒されながらも記録をして、すこしずつ理解をして、苦しい現状を打破すべく前をむくしかありませんでした。 退院日の金曜日には、ジェムザール(ゲムシタビン)という抗がん剤を点滴してもらい、毎週血液検査ののち3週点滴し1周休みというサイクルを2セット(2カ月)実施したのちにCT検査行い、各部の進行状況をみましょうと言うことになり、通院での闘病生活が始まりました。 毎日、体重と体温を記録し、出来る事からと代替え療法といって食事を見直すことから始めていきました。免疫力を高めるミネラルの摂取や血液を作る食事、無農薬野菜や無添加物の調味料など今までのバランスを重視した料理の品数とは一転し、妻だけ特別メニューにし、私達家族にはなるべく今まで通りの食事をと妻は心がけて、変わらず調理してくれました。 病は気からという言葉をよく耳にしますが、切る(外科療法)・射てる(放射線治療)という3大療法の二つから見放された私達に、打つ(抗がん剤)治療法しかないという現実を突き付けられてもなお、免疫力を高められるような療法をと探し続けていました。パートタイマーでしたが再就職したばかりの歯科医院様に、闘病しなければいけないので退職をしなければいけないと覚悟を決めて遣り甲斐のある職種に就けたばかりなのに残念でならないと肩を落とす妻を見送りましたが、なんと可能な限り勤めに通って欲しい、ただ無理はせず必ず相談してくださいとの忠告を頂き、有り難いお返事を頂いたと言ってきた妻の表情や態度のあかるさ、笑顔は今でも忘れる事ができない出来事でした。こんなに嬉しそうな妻の顔をみて、本当にこの人の人柄が周囲に与えている影響力を知り、またこんなにも真剣に取り組める妻が誇らしくもあり、この調子で必ず免疫力は高めていくことが出来、抗がん剤の副作用にも負けないで、必ずや希望の治療にたどり着くと確信していました。 そんな中で見つけた、すいがんペプチドワクチンというまだ未承認薬の治験という制度、実施機関を知り、当日のうちに問い合わせの電話を入れ、担当者からの連絡を待ちました。3日ほど経ち、ようやく担当者よりご連絡を頂き、現在置かれている状況を説明し、治験参加に関する具体的な内容も教えて頂くことができ、まだ参加の余地があることを知った私たち夫婦はその後、主治医にも相談し、治験の募集要件にある現在の標準治療が効果無しとの判定を医師より頂くことが、初めの条件であることに対し、なんとも非人道的な思いを抱きましたがプラセボ(偽薬)が混じっているリスクも考慮し、主治医からは現在の点滴抗がん剤の次に経口の抗がん剤S1(テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム)の効果が出ないと分かった時に申し込みましょうと理解は頂き、ただただ現在の抗がん剤治療の効果が表れるようにとの願いと万一、効果がなかった場合にスムーズにより効果的にがんペプチドワクチンの治験が受けられるようにと願いが昆作しつつも、いずれも希望を持って祈り、闘い続けておりました。 吐き気・嘔吐、口内炎などの副作用が日に日に進行していく妻と共通理解を持ちながらも、服用する経口薬の多さや味に妻は何度も苦しい思いを強いられて闘ってきましたが、いよいよ腹部の痛みが日に日に増し、救急搬送もされましたが痛み止めを増やすのみで何の処置も受けれず、結果腫瘍の大きさ、量ともに肥大、拡散しておりあとはペプチドワクチンの接種をと、県立のがんセンターへ紹介状が提出されることとなりました。 この時、2013年4月1日(月)、車で30分程度の乗車にも妻の体は耐えることが出来ないほど痛んでしまっており、通院も厳しいかとは思っていましたが、なんとしても週一回の接種を受けられること、副作用が少ないこの治療法によって、妻の体調が回復していくことを想像しながら二人で面談を受けてきましたが、血液検査の結果、HLA遺伝子型判定が02:06:01、11:01:01で、HLA型が日本人の6割の型ではなく、治験拒否をされてしまい絶望しました。この二日後、妻は力尽きており痛みも耐えれる状態ではなく主治医のもとへ伺った時には、即、胆道の圧迫を拡張する超音波内視鏡をつかっての処置が行われようとしましたが、ステントの挿入すらできない状態であり、集中治療室へと搬送されてしまいました。 何としてでもこのがんペプチドワクチンを接種させてあげたいと八方手をつくして可能性を探り、2013年1月11日(金)にCCNに巡り会い、早速セカンドオピニオンで治療先を紹介してもらい、希望を持って挑んできましたが、残念ながら妻は38歳になったばかりの若さで、二人の幼子を残して翌5月に逝ってしまいました。 妻の無念の想いを受け継ぎ、これから大人になる子供達のためにも、誰でもどこでもがんペプチドワクチン療法を受けることができるよう、一刻も早く第4の標準治療にするために活動を行っていきます。そのためにも、がんペプチドワクチン臨床試験実施のために、一人でも多くの方のご支援を受けられるように活動しております! (事務局追記。齋藤様は現在新潟県でがんペプチドワクチン療法の臨床試験実施のためにボランティア活動をされています。)

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研究

  家族性膵癌登録制度 家族性すい臓がん登録制度がスタート 膵臓がん研究の最前線: 遺伝子と家族性膵がんについて 「家族性膵癌登録制度について」外部リンク:日本膵臓学会(2013年7月20日) パンキャン賞 2012年度パンキャン賞授与 2013年度パンキャン賞授与   すい臓がんに対するよりよい診療、究極的な治療のためには、科学・医療の研究からすべてが始まります。パンキャンはがん研究促進を戦略的に進めています。パンキャンは包括的なすい臓がん研究へのアプローチをとり、研究を促進させています。 2008年からの家族性膵癌登録の紹介、2012年からのパンキャン賞の授与など、複数の方法でパンキャンはすい臓がん研究を前進させようとしています。 これらに加え、ドラッグラグ解消といった政策提言の努力もすることで、新薬が国内で使用できる働きかけも行っています。    

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2014年4月20日(日)膵臓がん啓発パープルリボンセミナー2014 in 静岡(終了)

    2014年4月20日(日)12:30開場, 日本大学国際関係学部 三島駅北口校舎  膵臓がん市民公開講座:膵臓がんに光をあてる 主要ながんの中でも最も生存率の向上が望まれている「すい臓がん」。日本ではすい臓がんの患者さんは年々増加しており、がんによる死因の5位に位置するようになっています。一方で、近年すい臓がんの治療の研究は進歩を遂げています。そこでこの度、NPO法人パンキャンジャパンと静岡がんセンターとの共催で、皆様に最新で正しい知識を提供することを目的にセミナーを開催いたします。 パンキャンジャパンが膵がん患者さんとそのご家族に自信を持ってプレゼントする最前線セミナーです。お席に限りがありますので、早目にお申し込み下さい。定員になり次第、締め切らせていただきます。  必ずご参加いただきたい有益な情報が満載です。 静岡新聞(4月10日)にご紹介をいただきました。   ※満員御礼:受付を締切ました。ありがとうございました.     ■プログラム:膵臓がん啓発パープルリボンセミナー(膵臓がん市民公開講座:膵臓がん治療の最前線) 12:30 開場   13:00-13:05 開会あいさつ 開会あいさつ静岡県立静岡がんセンター 総長 山口 建 13:05-13:10 オープニング パープルリボン活動についてNPO法人パンキャンジャパン 理事長 眞島喜幸 13:10-13:30 基調講演(1) すい臓がんの診断とスクリーニング 講師:静岡県立静岡がんセンター内視鏡科 医長 松林 宏行 13:30-13:50 基調講演(2)…

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